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愛ラブYOU

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春風の旋律
 この物語は架空のものであり、ここに出てくる登場人物、名称など実在しません。
本作では学生生活を、サークルと恋愛を織り交ぜ軽やかに描こうと思いました。


 神奈川県鎌倉市に位置する湘南電鉄手広基地にも春の訪れがやって来た。速水(はやみ)真治(しんじ)は昼食を済ましてから妻の和代に電話した。同僚を連れて帰る事を了解して貰えるだろうか? それも急遽決定したからだ。真治が電車整備を職にしてから5年が経つ。前職を辞めたのには訳があった。残業のないこの仕事は妻の為に始めたと言っていい。今日もまた、同じ時刻の急行電車に乗り真っ直ぐ帰宅する。いつもと違かったのは、年下の同僚3人連れての帰宅路だった。駅前のリカーショップへ彼らに買出しを頼んでいる間に、真治は斜(はす)向かいのケーキ屋さんへ入った。そしてまた、賑やかな3人と合流しタクシーに乗った。

「ただいま!」真治は玄関を開け、彼らを先に奥の居間へと通した。
「おじゃましまーす」そう言って彼らは入っていく。ワープロを打っていた妻の和代は若々しい客に笑顔で接し、「こちらへどうぞ」とソファーへと促した。そんな彼女は車椅子にのっていた。そして彼らに言った。
「こんな格好ですいません。私、何も出来なくて」
「うちらこそ突然お邪魔しちゃって」と、真治と歳の近い五十嵐(いがらし)が言った。五十嵐とは、和代も交えて幾度か釣りへ出掛けた事があった。
「相変わらずお綺麗ですねぇ」と、彼は蛇足した。
「奥さん可愛いタイプだよネ」と、一番年下の谷口が水をさす。
「おい、生意気な口聞くな!」と。ノッポの木下が言うと笑いが起こった。どうやら水口と木下の漫才が始まる予兆がした。彼らは面白いのだ。和代は昔から輝いていた。真治にはもったいないくらいだと今でも思っている。早速、乾杯を始める準備をした。買ってきた惣菜をざっと並べビールを注ぐ。真治はふと学生時代を思い出した。そして真治が大きなケーキをテーブルの上に置いた。そのケーキには、ローマ字で『HAPPY BIRTHDAY KAZUYO』とチョコで描かれていた。彼女は感づいていたようだが、同僚らはそうだったのかと肯(うなず)いた。
今日は妻の誕生日であった。二人出会って丁度十年の歳月が経つ。結婚して四年、その間の六年間にはある物語が隠されていた。親友の存在、感動、恋愛。そして悲劇…
そんな思いに耽(ふけ)っていると、妻からちょっぴりきつい説教が入った。
「あなた早く乾杯しなさい。皆さん待ってるわよ」
「真治さん、結構奥さんの事怖かったりして」谷口がからかい木下が突っ込みを入れた。微笑ましい光景であった。乾杯し、ケーキや摘(つま)みにも手を付け始めたあと、五十嵐が棚の端に立て掛けてあったビデオを取り出し、これを観てみたいと言い出した。真治と和代は顔を見合わせた。少しして彼女が「観ましょう」と納得したように言った。真治はそれを取り出してセットした。タイトルは『Just the same…』。自作だった。16mmフィルムからおこしたもので、そのちらつきが時代を感じさせた。いきなり本編が始まった。淡い日差しの中、主人公のユウジがフレームインしてくる。
「本物の役者!?」静かに始まったにも関わらず谷口は声をあげた。
「そうよ」と、和代は悪戯っぽく笑って言った。
そしてヒロインのケイが歩いてくる。まさに美男美女といった感じだ。
「あっ!奥さん若いっ!」谷口は驚くように言った。
「今でもそうだろ!」木下がフォローした。確かに、十代の和代のあどけなさがそこにはあった。
青春のラブコメディーの展開からキスシーンになり、気まずい雰囲気になった。時間経過のあと二人の喧嘩シーン。ユウジの浮気と彼を束縛するケイのすれ違い。演技の上手い二人は皆を圧倒させた。ケイの前からユウジは消える。ラストシーンでウエディングドレスを着たケイは新郎に近付く。アップして、新郎がユウジではなく他の男と判る。相対して、ユウジが友人からケイの挙式の事を知る。同時進行で互いの心理描写が映し出される。‐ずっと彼を待っていたユウジへの思いを抱くケイ。今更ながら後悔するユウジ‐『Just the same』(まさしく同じ)の心理状態。なのに式は進行していく。その瞬間、ケイは心の中でさよならを呟く。ユウジは街のショーウインドウの前に立ち止まり、ウエディングドレスを着たマネキンを悲しく見つめる。街の雑踏が無音になる。ユウジは微笑み「さよなら、ケイ」と優しく言って歩き出す。いいタイミングで軽快なテーマ曲が被る。ユウジのストップモーションで字幕がスクロールする。
「凄いなぁ!」五十嵐は感嘆の句を言ってアンコールをねだった。彼が映像に興味あると真治は知っていた。
「脚本とか編集も上手いよ。誰がやったの?」五十嵐は真治に聞いた。
「この人よ」和代は自慢げにそう言ったが、真治には妻 和代が心の内であの頃をリフレインしていたのを悟っていた。
「ナイターどうなったかな?」巨人ファンの木下がそう言った時、真治はビデオからテレビへと切り替えた。
「五十嵐くん、今度ダビってあげるよ」真治は五十嵐に言った。
「打て~」既に木下はナイターにのめり込んでいた。谷口は?というと、酔っ払って眠そうにビールを注いでいた。

 同僚たちが帰り妻と二人きりになった部屋で、真治は誕生会の片付けをした。そして歩けない妻と湯船に入った。そこで今日の出来事を話してあげる。外出が容易でない妻への手土産といったとこだろうか。ベッドに横になってから和代は、「今夜は楽しかったよ」と真治に抱きついて言った。開いた窓から、なま暖かな春風がそよぐ。
「いつもありがとう」妻は、暗がりの天井を見つめて言った。
「ああ…。あの頃の事思い出しちゃったね」真治も天井を眺めながら言った。和代は言った。
「久しぶりに観たわね、あの映画」
「君の事はすべて解かってるつもりだけど、昇ちゃんとの事は…。」
「思い出してなんかいないよ!?」
「僕は良く思い出すよ」真治は妻の気持ちを察してそう答えてみせた。
それは、四年間の学生生活に遡る。


 大学生の真治は、映画を撮るサークルへ入っていた。そこで親友となる田沢昇一と出会う。昇一は爽やかな美男子だ。対して、真治はモテない男という訳ではなく、感性にたけていて部のC(ツェー)年(ネン)(1年生)のリーダー的存在だった。そして、役者を目指したいという昇一の演技力とカメラワークの良い真治は、D(デー)年(ネン)(2年生)と組む秋の学園祭に向けた作品制作の原動力となった。気の合う二人がD年になろう頃、真治の下宿先を訪れた昇一が原稿を差し出し、「真治、俺が書いたんだ。ちょっと読んでみてくれ」と、意気込んで言った。真治は驚いたが、わくわくしてそれを手に取り目を通した。昇一はその間、自信ありといった態度で「どう?」と、しきりに聞く。
「昇ちゃん、凄くいいよ。恋愛モノかァ。問題は昇ちゃんの相手役だな。演技力、…それと輝きというか、清純なタイプかなァ」
「そうなんだ、うちの部にはちょっとイナイよな」昇一が言った。
「佐藤さんじゃ色気出ちゃうかな。…それに裏方志望だよな彼女」と、真治。
「岡田幸恵だと‘いらっしゃいませ~こんにちは’になっちゃうしね」
「昇ちゃん、それじゃマックだろっ」真治が突っ込む。
「外部で募集かけるのは問題ありかなァ?」と、昇一が聞く。
「ちょっとな。今から二人で恋人探しでもすっか」真治は言った。
「マジで考えようぜ」と、昇一はさらさらした髪をかき上げ真治を睨んだ。
『こいつマジだな』真治はそう思いながら原稿を返した。
「新入生に期待かけるほかないか」と、ふたり口を合わせて言った。

 なま暖かな春風がそよぐ新学期。ガイダンスにやって来る新入生に、部を挙げての勧誘をキャンパスで行った。真治たちはビラを配りながらヒロインを探した。まるでガールハントをしているかのように…。
結果、新入部者にヒロインに似合うタイプの子は見当たらなかった。
「ボツかな、これは…。ストーリー変えるよ」と、捨て鉢な昇一は途方に暮れていた。彼は意外に繊細なんだなァと真治は思う事がある。そんな真治が同じ学部でサークルも共にする友達の佐藤るみ子と、講義終了のまばらな教室で部を語っていた。真治は彼女に、C年、D年のまとめ役となった抱負や、例の映画の企画構想、そして最後に昇一の事も話した。
「彼を慰めてやれよ。いいチャンスだと思うし」と、真治は最後に付け足し、先に教室を後にした。明るい性格のるみ子は企画には乗り気であったが、昇一には特別な関心を示さなかった。かつて昇一に対しての想いを、彼に受け入れて貰えなかったからであろう。真治はその足で部室に寄ってみた。
「速水!役者志望でカワイイ子が来てんぞ!」廊下ですれ違った先輩がにやけて言った。部室に入り、そこに腰掛けている彼女をひと目見て、『これだ!』と思った。真治は直ぐに自己紹介した。
「初めまして。1・2年のリーダーやってる速水です」
「私、滝口和代と言います。宜しくお願いします」と、彼女は礼儀正しく言った。あどけない可愛さの中に、信念を持った人だと真治は思った。少ししてスタイルのいい昇一がやって来た。彼女が彼を見た瞬間、その瞳孔が開くのを真治は見逃さなかった。そして彼らがこの瞬間から魅(ひ)かれ合うのを感じた。おかげで真治は、昇一の原作を脚本化する事に没頭できた。彼らの恋愛を想定し演技力をも確信した。


 4限が終了と共に学生の波が駅へとどっと流れ出す。それを横目に、真治ら映研D・C年グループの会合が学食カフェにて行われた。マネージャーを受け持つるみ子は、真治が書き下ろした台本を集まったメンバーに配っていった。リーダーの真治が監督として挨拶をした。真治は趣旨、配置、活動の流れを説明し、意見を求めた。カメラは吾妻(あづま)に任せることにした。彼は真治から見て信頼できる一人であった。勿論、映像好きな全員と気持ちが通じ合っていると思っている。制作費に対しカンパという案が出たが、D年佐倉は真っ向から否定した。彼の言い分は演技力でカバーしようという事で結果、衣装や、ロケ地への移動・食費などは極力自前かつ自費という事となった。賄(まかな)えないものに関してのみ部費で出費する。そして役者と裏方とに別れ打ち合わせをした。裏方側(技打ち)には編集の大島をリーダーに充て、真治は役者側の演技指導(本読み)に付いた。肝心の昇一が、滝口和代の前で何となく照れがある様子で落ち着かない。真治は帰り際和代にアドバイスするふりをし、昇一との仲を気遣った。彼女は落ち着いていて、真治の云いたい事を理解してくれた。『二人の絡みを減らしクライマックスをメインにしよう』真治は思った。それでもそれを印象付ける為に、キスシーンは外せなかった。
 最後にカフェに残った真治は、コーヒーをもう一杯口にしながら、気付いた事を台本に書き込んでいた。最近気疲れしていると自負していた。そこへるみ子がやって来た。彼女は真治の横に座ると、持っていた袋からベーカリーを一つ取り出し、真治にそれを手渡した。
「サンキュ」真治は短く言った。
「速水くん、何考えてるの?」るみ子が明るく言った。
「呑気でいいなァ、佐藤さんは」と、真治は一息入れてベーカリーを口にした。
「楽しくやりましょ。それにしても主役のお二人、お似合いだわ」と、るみ子は羨ましそうに言った。
「でも昇ちゃんらしくなかったなァ。女の子に照れるなんて」
「きっとあの娘に気があるのよ」と、るみ子はさらりと言った。そんなるみ子には、もう本当に昇一への想いがないのだろうか?真治は思いつい口にしてしまった。
「ねぇ、昇一の事はいいの…?」
「えっ?…速水くんて優しいわよね!」るみ子は拗ねた言い方でそう言った。
「悪かった。もう言わないよ」そう真治は謝ってから言った。
「夕飯、一緒に食べようか?」その瞬間、るみ子は何も無かったかの様な素振りでニコッと笑ってみせた。
るみ子とは、いつも一緒に居ても周りからパッシングされる事なく自然に居られる。真治はそう思っていた。真治は彼女に対して下心無い訳ではなく、自然で居たいが為にわざとその気持ちを殺していた。彼女もそうかも知れないと最近思っていた。
 食事の後、すっかり暗くなった夜道を二人歩いた。辺りはしんみりとしていた。五月も半ば、こうしてるみ子と歩いて一年になる。突然、真治は立ち止まった。
「どうしたの?」と、るみ子は振り向く。
「付き合おうか?」真治はそう言って彼女を見た。
「付き合おっ」るみ子は笑顔で応えた。
「好きになってた。君の事…」真治はさりげなく言った。
「うん」るみ子も納得していたかの様に肯いている。言葉では掴(つか)み所のない るみ子ではあるが、気付くと真治の腕に抱きついていた。彼女は言った。
「私、待ってたよ。速水くんがそう言ってくれるのを…」19歳とは言え、大人っぽく見えるるみ子がそう言うとしっくりくる。言葉なく真治は、るみ子の肩を引き寄せるとそっと口づけた。

 脚本の手直しを幾度としてから、出演者たちの本読みを行った。昇一の演じるユウジと和代の演じるケイの台詞も大してなく、脇役に対しても簡素なものだった。味気ないと言ってしまえばそれまでだが、ちょっとした仕草や表情で作品は良くも悪くもなる。以前昇一がそう言っていたのを真治は思い出す。真治の心配はよそに、熱の入ってきた昇一は、演技の中で格好良くユウジを演じていた。この日は主役二人と、カメラ担当の吾妻と真治、るみ子の五人で詰めをしていた。
「いいよユウジ。ケイもその調子でね!」そんな真治も監督が型にはまってきた。
「カメラ回してみようか?」吾妻がたまらない様子で言った。
「前のカットとの衣装つながりなんだけど、同じでいいの?」水をさすようにるみ子が割り込んだ。
「そうだよな。まだまだ詰めるとこあるなァ」真治は言った。
「衣装は別に用意しよう!」と、付け足して言った。
「私たちでやらせて下さい」和代が皆に言った。私たちとは、仲の良い智子と純江を指していた。部外者であるが、今回の衣装を頼んでいる裁縫できる彼女の友人だ。
「何かあったら気軽に言ってちょうだいね」と、マネージャーのるみ子が和代に言った。


 ドライ、カメリハ、本番といった業界用語は、映画制作に於いて楽しめる言葉であった。いつしかその言葉を皆が口にしていた。順撮り(ストーリーの流れの通りに撮る事)の方がしっくりいくと皆の賛成で、S(シーン)-1、C(カット)-1の二人出会うシーンで開ける事となる。
夏も近付く晴れた休日の朝、通学で見慣れた駅前の通りでシュート(開始)した。華やかなメイクの和代とスタイルの良い昇一がスタンバイする。吾妻が三脚(あし)を立てカメラを設置すると、直ぐにドライ(撮り位置でのリハーサル)を始めた。カメリハ(カメラリハーサル)も同時に行う。何しろ道路使用許可を取っていない。役者にレフ板を当てる照明、外周音を撮る音声もいて役者を大人数で囲んでいる。見物客も集まってきた。
「本番いきま~す」真治は叫んだ。数カット撮って真治はOKを出した。次にキャンパスのある丘に移動し、二人が仲良くなっていくS-2を撮る。朝以上に天気はピーカンになっていた。その次に舞台となる喫茶店は、セッティング担当の藤本の実家の店で、数人のメンバーがいっているはずだ。大島と学部が一緒の平井が、今回のロケで8人乗りのワゴン車を提供してくれた。C年で車好きな相田がスカイラインで技術スタッフを乗せて行く。二度出てくる喫茶店は別物の為、撮り方を工夫し背景をごまかした。昇一はこの日、三度の衣装替えをした。先にS-11といった後半部分も撮ったからだ。この日のメニューは無事こなし、夕方には打ち切った。二時間程貸切り状態にしてくれた藤本の両親へのお礼に皆で食事を注文し、軽く打ち上げをした。今日NGの話題を楽しくするグループもあれば、身の上話を展開しているグループもある。真治が‘あれっ’と思ったのは、昇一と和代が別々のグループに居た事であった。
 解散して昇一と久々に二人きりになった真治は、彼を居酒屋に誘った。そしてカウンター席に並んで座った。サワーで乾杯しいろいろと語り合った。
「たまには人生観でも話すのもいいよな」と言いタバコをふかす昇一。彼が大人になっていくのを、真治には少し寂しさすら感じていた。出会った頃の彼のやんちゃなイメージが真治は好きだった。
「真治、オレ滝口和代と付き合い始めたんだ。ごめん」昇一は言った。真治は『やっぱりな』と思い、笑って言った。
「謝ることないだろっ。俺お前の恋人じゃないんだから」
「そうだよな」ポーカーフェイスの昇一はいつもの癖で髪をかき上げた。
「とにかく作品完成させよう昇ちゃん」
「ああ。ヨロシク頼む。…真治も早く女作れよ」
「実はそれなんだが、心配要らないよ」真治は顔を逸らして言った。
「遂に彼女と付き合い出したか」昇一は真治の相手を見抜いていた。


 八月になり撮影も残すとこ、結婚式シーンのみとなった。それは月の終盤、学園の講堂を借りて行う事に決まった。陽も沈みかける夕暮れ、真治は部室で現像されたフィルムをかざしていた。そこへるみ子がそっと入って来て、悪戯に真治を驚かせた。
「何だ、君かァ」
「何だ、君かァとは酷くない?速水くん!私のおかげで先輩たち式のシーン来てくれる事になったのよ!」
「そう、ありがとう」
「それだけ?授業もさぼって!ノート貸さないわよっ」
「それはご勘弁を」
「ねぇ、私も編集付き合っていい?」
「門限厳しくなかったの?」真治は横目で言った。
「だって誕生日くらい好きな人と一緒に過ごしたいんだもん」そう言ったあと彼女は黙り込んだ。真治は携帯を取り出すと大島に電話した。今夜の編集の中止を告げた。電話を切ったあと、真治はフィルムを片付けながらるみ子に「行こう」と声掛けた。
真治は、駅の改札を定期で入ろうとするるみ子を制して山手中華街までの切符を二枚買った。
「君と違って貧乏学生でもいいとこくらい知ってるんだ」ムキになって真治は言った。
「じゃ、期待しようかなァ」るみ子はいつもの調子で真治に目配りする様に言う。
真治は思う-『しんみりしてたから誘ったんだけどな。全く素直じゃないね~』
 地下鉄を降りてから真治はATMに寄りキャッシュをおろすと、山手中華街のお気に入りの店へとるみ子を連れて行った。ここは奮発してコースメニューを注文。そして満足そうにエビチリをほおばる彼女に真治は言った。
「食べたらもっといいとこ連れて行ってあげる」
「いいとこ?うん、楽しみにしてるね」
真治はるみ子の手を引くと、暗く閑散な路地に入っていった。急な石段を登る。歩き疲れた様子で彼女は立ち止まった。
「もう少し我慢して」真治は言うと彼女は「わかった」と答えた。階段が終わり一角を曲がったとこで、るみ子は「凄~い」と言った。眼下には湊町の夜景が開けていた。二人は柵に寄り添い遠くを眺めていた。
「写メ撮らない?」るみ子は言った。
「その前に。まだ言ってなかったね…誕生日おめでとう」
「二十歳だよ!信じられない」彼女はそう言ってはしゃいでいた。
「君にも夢ってあるの?」真治はそう言うと、るみ子は不思議そうな顔で見た。
「俺にはいっぱい夢がある。凄い映画を撮るんだ。そうだなァ、フランス映画のような、例えば“BettyBlue”南フランスの余情、“A man and A woman”パリの映像美とフランシス・レイのピアノがいいよね。それに…君と海外を旅したい」真治は楽しそうに言った。なのにるみ子はうつむいていた。
「どうした?」真治は尋ねた。
「…ごめんなさい。実は私、来月からロスに編入留学する事になったの」
「えっ?」
「今まで黙っていて悪いと思ってる。でも行きたくなくなった」
「行けばいいじゃん」真治は突き放す様に言った。
「何でそう言うの?」
「…ねぇるみ子」
「何?」
「綺麗なまま別れよう」真治は言った。正直ではなかった。が、彼女を引き止めるまでいかず、それは言葉を見失っての文句だった。
「わたし速水くんに抱かれたい」るみ子はそう言って真治に甘えた。真治は今までで一番の驚愕(きょうがく)を感じた。
「離れても俺の彼女で居てくれるなら…」真治はためらいながら言った。
「わかった」これがるみ子の返事だった。
和代と結婚してから、真治はこの話を打明けたのだが、「二人共大人だね」って言ってくれた。その時こう質問された。
「何故二人再開出来なかったの?」と。その理由(わけ)は解けていたが、少し考えるフリをして、
「それが男と女じゃないかな。だって君と、まさかこうして暮らすなんて思った事なかったしね」と、真治は答えた。
「そうよね。不思議よね」と妻は言っていた。


 8月23日、ロケ最終日。この日は式のシーンであった。演技とは言え、滝口和代の花嫁姿を誰もが色目で見ていた事だろう。新郎役の無口な須崎もこの時だけは浮かれ、結婚ごっこを楽しんでいた。その後、駅前の居酒屋で飲み会の席を設けた。
監督の速水真治は挨拶をした。
「みんなの協力で何とか無事、ロケのほう本日を持ってすべて終了しました。編集の方ですが、希望者全員に少しずつやって貰います。それから、」
横にいた昇一が急に立ち上がり代弁した。気配りだと真治は思った。
「裏方に回ってくれた皆さん、本当にサンキュウ!」
「いいぞっ、ユウジ!」照明の浜が、昇一の役名で言った。昇一は後を続けた。
「えー、皆さんご存知かと思いますが、マネージャーを務めてくれた佐藤さんなんですが、今日でお別れとなります。アメリカの大学へ移籍という事です。佐藤さん一言どうぞ」
「はい。撮影お疲れ様でした。本日は先輩方もお付き合い頂きありがとうございました。一年半でしたが、思い出いっぱい出来て幸せです。とても寂しいけど…これからも皆でいい作品創って下さいね。本当にありがとうございました」るみ子が丁寧に挨拶を終えると拍手が一斉に起こった。それを聞いていた真治は恋の病を覚えた。そして「昇ちゃん頼む」と言った。昇一の音頭で乾杯した。そのあと会は盛り上がった。真治は黙って飲み続けた。るみ子が横に来て「私にも注いで」と言われ一緒に飲んだ。

 秋も終盤、真治の部屋のポストに一通の手紙が届いた。アメリカに行ってしまったるみ子からだった。渡米してから何度か電話が来ていた。会話の中で「好き」と言うのは真治の方からで、相手の気持ちに覚めた勘があったのだが…。幼少期シアトルで育った彼女は、そもそもバイリンガルであり、翻訳家になりたいと言っていた。同じ英文科で真治は度々助けて貰った。横文字で綴ったるみ子の手紙には、環境の変化、勉強の忙しさなどが書かれていた。現地で出来た友達との写真も添えられていた。完成して送った映画の感想もあった。ただ、‘still, I love you…’のワードは何処にもなかった。


 年が明け、昇一が教職を取る事を真治に打明けた。役者になる夢を捨て現実をチョイスする彼を、真治が非難する事は出来なかった。そして彼は映研から退部していった。真治は孤独を埋める様、学生でありながら好きな映像の世界を追った。АD(アシスタント・ディレクター)や、CА(アシスタント・カメラマン)のバイトを始め、TVスタジオに出入りするようになった。トレンディードラマ“君の瞳に恋してた”では台本チェックを任された。大学に籍を置きながら、この年は幾つもの単位を落とした。3年に進級出来てもこの分だと留年確実となりそうだ。まれに行くキャンパスも部室への顔出しにしか過ぎなかった。もう一度、学生をやり直す切っ掛けが和代であった。部のほうは同期の大島が部長になっていた。そして、久々に会った和代が後輩に指示を与えていた。真治は嬉しかった。と同時に、冬眠から目覚めたかの様な自分を恥じていた
「すっかり先輩になったね」と、真治は和代に声掛けた。
「はい!」彼女は元気に答えた。
「そうだ、彼氏どうしてる?」彼とは昇一の事だった。
「はい、五月に教育実習に行く事決まりました」
「それはいい話だねっ。暫く会ってないなァー」
「先輩がプロの世界飛び込んでいった時、あいつ違うねって」
「軽蔑してたのか?」
「逆です。私にプレゼントしてくれたTVの台本見て、いつかまたやりたいって」そう言って和代は笑っていた。
「仲良くね!」真治はそう言ってからその場を去ろうとした。その時、和代はひと言云った。
「でも、先日彼にフラレました」
「彼が!?…そうだったんだ」真治はそれ以上聞く事はしなかった。
「速水先輩は彼女とは?」
「自然消滅かなっ。果かないよ…」
「じゃ、今はひとり?」
「そうだよ」真治はわくわくした。
「可能なら私を制作の現場に連れてって下さい」それ以上に和代ははしゃいで見えた。
 後日、真治は制作の見学に和代を連れて行く事になった。結局、彼女は撮影現場には通される事が許されず、外で真治を待っていた。それなのに満足そうに和代は礼を言った。それで終わりかなと思っていた矢先今度は、「私と勉強して下さい」と帰り際、彼女は次の約束を言ってきた。真治にとっては‘高嶺の花’と思っていた和代に対して、るみ子の時と同じ様な関係になっていくのをひしひしと感じていた。
そして、講義に出るのも楽しみになっていた。そのあと和代と逢って図書室で勉強をする。三年、四年生と言えばゼミがある為、部には顔出し程度が普通になる。真治もその部類となった。真治は、和代に好かれながらもそれ以上は望まなかった。
冷たい雨の振るクリスマスの日、真治は和代を呼び出してプレゼントを渡した。それは貧乏学生の贈り物だった。それを気持ち良く受け取る和代を見て真治は決めた。
「ケイちゃん。俺がもし今回卒業単位取ったら、俺の彼女になってくれないか?」
「はい」と彼女はひと言。抵抗なく同意した。その‘ケイちゃん’とは映画で使った役名である事は云うまでもない。そして、その年は単位を取り返した。卒業見込みもあった。それには和代が共に机を並べてくれたおかげでもあった。それだけ真治は愛されていたのだろう。

 再びなま暖かな春風がそよぐ。例え道に迷ったとしても、春はスタートのチャンスを与えてくれる。この年の真治は、再び映像の世界へと没頭した。既に恋人になっていた和代とは週末にデートしていた。真治は就職活動もせず、バイトながら全国をロケする番組を手掛けていた。熱意とセンスをも認められ、まずはこの会社に雇われるのもいいと思っていた。それには入社後、ディレクターの仕事を与えようという社長からの約束もあったのだ。

 秋になって真治の所にある知らせが舞い込んで来た。最初にるみ子から電話があった。
「ご無沙汰してます」女の声は言った。
「…るみ子?」
「そうです」
「今どうしてるの?」
「秋にロスの大学を卒業して今こちらに戻ってます。それから…」
その先の話は、彼女はこの春から昇一と付き合っていて籍を入れたという嘘の様な話だった。あいにく真治も、和代と付き合っている事を話した。少しして昇一が電話口に出た。彼は和代を宜しくと言っていた。数日後、昇一とるみ子が揃って下宿先のアパートへやってきた。暫くは言葉ない三人であったが、テーブルを囲んでから昇一が言葉を発した。
「相変わらずだな」昇一は部屋の中を見渡しながらそう言った。
「まだ四年経っていないのにあの頃が遠い昔のようだな」真治は昇一に向かって言った。
「るみ子、更に大人になったみたいだ。彼に幸せにして貰うんだよ」今度はるみ子に言った。真治にはとても複雑な心境だった。別れ際、るみ子は昇一に「先に出てて」と言った。真治とるみ子は二人きりになった。
「ちゃんとさよならしてなかったね」るみ子は言った。
「ああ」真治は、想い焦がれた半年間を思い出していた。
「昇一とは本当に今年からなの」
「わかってる」真治は言った。
「連絡出来なくてごめんね」
「君らしくなかったね。それより結婚式には呼んでくれよな」
「優しいね、真治」
「始めて俺の名前、呼んでくれたね」
そして彼女も部屋から消えていった。これこそがドラマの様であった。真治は妙に寂しくなり和代に電話を入れる事にした。もしすべての事が夢ならば、和代の存在もないはずだ。そう思いながらコールさせる。数秒後、彼女の優しい声を聞くと一安心した。


 時は流れ新年も二月になり、真治は大学に卒業論文を提出した。その日、真治と和代はある約束をした。それから真治はロケの為、羽田へと急いだ。そしてディレクターと落ち合い札幌まで飛んだ。新番組が舞い込んで来て、四月早々真治が担当する事も決まっていた。春から真治は、新入社員としこのプロダクションで働く事になっていた。数日して真治は、出先の札幌から和代にメールを入れてみた。直ぐに返信のメールが届いた。その内容は予想外で残酷なものであった。
『お疲れ様です。先日の婚約の話ですが、なかった事にして下さい。和代』
驚きを超え不安になった真治は、急遽札幌から帰京する事にした。自分が任されていた仕事の責任放棄に激怒されるのも顧(かえり)みず、真治は空港のある千歳へと向かっていた。
汚れた防寒着で出発ロビーを横切り乗り場へと急いだ。羽田に着いたのは夜の七時だった。和代が携帯を切っている様子なので、直接彼女の実家マンションへと向かってみた。玄関の扉が開くと、先日挨拶した彼女の両親と対面した。
「どうぞ上がってください。和代、昨日退院してきたんですがね」と、大人しそうな彼女の父親が言った。
「何かあったんですか?」真治は不思議そうに尋ねた。
「あら、何も聞いてませんか?」今度は母親の方が言った。
「はい」と、真治は答えた。
「入らないで!」ドアの向こうから和代の声が聞こえた。真治は、両親にこの場から外れる様に言った。
「何があっても一緒だよ。…二人の絆」
「・・・」返事がない。‘二人の絆’とは、和代が真治に対し勉学を共にした頃に言い続けた言葉だった。
「二人の、絆…」暫くして彼女がそう言った。そして部屋の扉が開いた。そこには車椅子に乗った和代の姿があった。
「わたしもう歩けないの。こんな私でも愛してくれますか?」と、彼女は言った。真治にとって確かにそれはショックであった。けど、それ以上に彼女を失うなんて出来ない。
「愛し続けたい」真治は言った。
                    (完)
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君への想い~奇跡を信じて~
  1節 (雪菜サイドから)

♪叶わないものを叶えてく力が 世界にはきっと満ち溢れてるoh-oh-oh-
 君への想いが勇気に変わる頃 光がそっと差し込むだろう
(バックに倖田くみの奇跡が流れている)
「いい詞だよね?」
と、私は塞ぎがちなシンに言った。そして続けて言った。
「あっ、この曲歌い手は女性なんだけど、僕が君に語りかけてるって歌なの。前向きにね!」
「雪菜はどうしてこんなに俺に優しいの?」
ようやくシンは口を開いた。
「優しいだなんて意識してないよ?」
「しばらく学校もないのにバイトも行かず寝てばっかいてユキのひもになっている年上の男にだよ!?」シンは息も付かず一気に言った。直ぐに私は言い返す。
「だって、シンのこと大好きなんだもん。それに…あの時あなたが私に勇気くれたの」
「あの時?あっ、あの時か!わかった。おやすみ」
シンは自分なりに納得すると再び布団に潜った。そんなシンを、私は布団の上から叩きながら甘えた声で言った。
「シンちゃん、キャッチボールしようよ~!!」今の雪菜は元気だ。そして私はその布団に潜り込むと彼の耳元で言った。
「思い出すな。私が壊れたときあなた慰めるの上手だったわ。..そばに居てくれるだけで俺は幸せだよ。なーんてネッ!いま私が居て幸せでしょっ?」
「はいはい、行けばいいんでしょ」そう言いながらシンは布団から飛び起きた。そして猛スピードで着替えると、グローブを持って玄関を出て行った。私は目を丸くして急いで彼を追いかける。ドアノブに手を掛けようとした瞬間だった。ドアが開きシンが顔を出した。
「ユキはボール持ってきて!」
「はい!」私はびっくりしながら答えた。

 グランドは少年野球に占領され、側道で私達はこじんまりボールを投げ合っていた。
「きゃーっ!」
私の投げたボールが大きく反れ、試合中のグランドに球は転がっていった。
「すいませーん」
シンはそう言うと、気まずそうにボールを捕りに行った。
「ごめんなさい」
と、私はボールを受け取り戻ってきたシンに言った。
「ハハハッ。最高!さすがユキさん!」
彼はそう言った後もしばらく笑っていた。
「いつまで笑ってるのよぉ!」
私は膨れた。そして思わず地面にグローブを投げると彼に背を向け、足早に歩き出した。
「ごめん、許してくれよ。なぁ、ユキっ」
足早に歩く私は止まる気はなかった。付いてきたシンがユーターンをし、自宅へと歩き出した様子だった。私は無性に淋しさを覚え、振り返ると同時に駆け足で彼の元へ。そしてシンの背中に飛びついた。
「すきっ!!」
私は甘えた声で言った。
「俺も!」
シンも答える。私はその綺麗な瞳に微笑みかけた。
「シンちゃん、グローブ置いてドライブ行こうよ?」
「よし、行くか!」
二人は仲良く手をつなぎ歩いた。それは、爽やかな秋の昼下がりであった。

 2節 (解説)

 23になる雪菜はOLを辞め、近くの惣菜店で働いていた。もっと綺麗だったらキャバ嬢にでもなって二人のためにも稼ぐのに。その大胆な発想もO型からか?決して派手ではない堅実派な雪菜である。一人暮らしの生活のキツさには慣れていたが、シンを同居させてからはさらに負担が増していた。シンは横浜から週に2日ほど名古屋の大学院に通う学生だ。在籍5年で卒業は出来ていない。雪菜には未知の世界である。工学の分野を研究しているらしい。ユキの前ではほとんど見せないが、非番の昼間にコツコツとパソコンでレポートを書いているようだ。シンの宝物の一つがそれで、もう一つは車だ。とにかくマテリアル主義でブランドが好みの様だ。感性で生きる自分とは合わないのも承知で付き合うことにした。シンは大の車好きで、バイトで貯めたお金と親からの補助で、ベンツのオープンカーSLKに乗っている。週明けはその車で名古屋へ行ってしまう。シンも週3でバイトをしているが、車の維持費と通学費で消えてしまう。シンを同居させたのは雪菜であり、彼も肩身は狭いみたいだ。倹約にも協力はある。愛し合うことにかけては他のカップルには負けないだろう。シンの言う事は正統なのだが頑固なのだ。雪菜は彼に染まっているのか?と思う事もあったりするのだが…。それでも頭のいいシンを信じていた。
 二年前、両親が他界し兄貴と二人きりになった雪菜に希望を与えてくれたのがシンだった。事故で亡くした父に続き病気がちな母も居なくなってしまった。それまでは残業の無い日には、大好きな母の看病に隣町の実家まで通っていた。都内には祖母がいるが伯父(おじ)の家に居る。結婚している兄が母の部屋が空いた事もあり同居してもいいと言ってくれたのだが、アパートを借りていた雪菜は自分の幸せを掴みたかった。年頃の女らしく、そんな孤独から逃れたくてすぐに彼氏が欲しいと思った。兄や友達からの紹介も受けた事もあるが、波長が合わず恋愛とまではいかなかった。職場には恋愛できる男は居ないしと、五年間働いた単調な会社を辞め、次に入ったところも環境が合わず直ぐに辞め、途方に暮れていた。

 3節 (雪菜サイドから)

 たまたま入ったファーストフードの店での事だった。私の隣には、ノートパソコンを開いている若い兄さんがいた。その兄さんは一見、DCを着こなしサラリーマンかと思わせるのであるが、パソコンのウインドウを覗いてみるとゲームの様で滑稽(こっけい)だった。ポテトを口にしながらトランプゲームに夢中なお兄さま!? ふと思った。相手は私に気付いたのかちらっとこちらを見た。慌てて(あわ)伺うのをやめると相手はまたそれを続けた。退屈な私は、まばらな店内を見回していたのだが、再び横目で兄さんの手元を見ていた。
「気になるよね?こんな所でゲームする奴なんて」
モニターを見たまま兄さんは言うとニヤっとした。
「意外とこれ面白い!やってみる?」
と、兄さんは促す様に私に問いかけた。
「結構です」
私はとっさに手を横に振り答えたあと苦笑いした。そんな私に彼は言った。
「そう。そうだよね~」
変な雰囲気になったので私は席を立とうとした。
「そうだ!今からドライブ行きません?」
思い付いたかの様に彼は言った。この人、自信家?でも~何か格好イイし。どうしよ~。私の中で葛藤が巡ったのも束の間、その言葉に委(ゆだ)ねた。気付けば彼の車の中、夜の湾岸線を走っていた。
「まだ時間ありますか?」
彼は言った。
「今日は特に用事はないんで..」
冷静を装いながらも私は内心思った。この人ならこのまま連れ去られてもいいと。気さくで頼もしい反面ちょっと大人っぽい雰囲気。自分を満たしてくれそうだからだ。単調な音楽がモダンな車内に流れる。彼のベンツはぐんぐんと加速していく。さすがに揺れのない静寂(せいじゃく)な車だ。後方に路面を照らす水銀灯が流れていく。しばらくの無言のあと、うっとりしてしまった自分は我に帰った。
「あのぉ、どこへ行くんですか?」ふだん社交的で明るい私でも所詮はレディー、初めは慎重なのだ。
「海ほたる」相対して(あいたい)気さくに兄さんは答える。
「今からですか?」ユキの中では未知の場所で検討も付かずといったとこなのだが…
「もうすぐですよ! 案外近いんだ。来た事はあるのかな?」
「ないです。男の人とドライブなんて始めてだし。あっ、前のカレ免許無かったし..」
「ハハッ、正直なんだね。気に入った!俺っていけないなぁ?失恋したからって見知らぬ人簡単に誘うなんて」
「失恋?..私もそんなところだからいいですよ」
そう言うと私は楽しくなってきた。同じ胸中への同調か?この人と付き合えるかも知れない。そう思ったからだ。そして彼に聞いた。
「今日は仕事帰りなんですか?」
「違う違う、学生だよ(笑)!帰りと言えば名古屋からね。あっ、そういう話はあとにしよう」
質問をかわされたようで、私はまた黙りこんでしまった。
 車を降りると晩秋の冷たい海風が吹きぬけ、私の瞳(め)は涙ぐんだ。兄さんの何か言った言葉も風に消されていく。「向こうへ行こう」とでも言ったのか?ただその後を付いて行った。立ち止まった。二人並んで闇の中の東京湾と対面した。夜の帳(とばり)とまではいかないが、海を隔てた向こう側には小さくフロンティアの灯りが続いている。その時、彼の視線を私は感じていた。そして夜景に見とれる私に、彼は耳を疑う様な事を言った。
「かわいいよね。好きになりそうだよ。あっ、いきなりごめん」
「ありがとう」私は答えた。正直に出た言葉ではあるが、「私も」とは言えなかったのは唐突だったからだ。応え(こた)なおそうとした時にはもう歩き出していた。
「ユキナさんだったかな?やっぱ年下なのかなぁ?!」
「たぶん(笑)そういう話はあとでね!」
私は言うと、その台詞(せりふ)に思わず二人で笑ってしまった。

 帰りのドライブは楽しい雰囲気になった。自己の事、すなわち生活の事、趣味や好きな食べ物、そしてユキは親を亡くした悲しみまで告白した。敢えて私は、シンを兄さんと呼ぶ事にした。少し残念なのが、兄さんは世田谷で親と同居しているらしい。兄さんから見れば行動範囲が広いから庭先らしいが。その言葉通り、彼は私の家のそばまで送ってくれた。深夜になってしまったが、布団に入る前に兄さんにメールを送ってみた。
[今日はありがとう。楽しかったです。初めて会ったのにそうは思えない程です。兄さんが私の話を聞いてくれたのでだいぶ元気になったよ(^^ゞ恥ずかしいけどまたデートしてたいです。連絡待ってますね☆おやすみなさい。]
浮かれて打ったのがバレテしまう様な脱字もある内容だった。こんなにドキドキしたのは始めてかも知れない。私の心理を見据えての事か?シンからもお返しのラブメールをしてくれた。

 ~私たちが付き合い始めた経緯(いきさつ)はドラマティックでした。それはずっと変わらないと思うし。あっ、私が彼の名を呼ぶのは変わったけど。兄さんからシンさんに変わり、シンちゃんと呼ぶに至っては年の差がなくなった間柄なのでしょうね。この先の物語は、シンが描いてくれてます。というのも、私は次第にある病に侵されてしまい明確に覚えていません。ただ彼の価値観が私により変わって行き、その優しさにこの上ない幸せを感じていました。(雪菜)


  4節 (シンサイドから)

 付き合って半年経った頃だろうか?先に結婚を意識しはじめた雪菜が、同棲をしようという話をシンに持ちかけた。そのとき女性って先の事まで考えているんだなぁとシンは思った。学生のシンにとっては微妙な感覚であった。そして実家にいたシンは、雪菜のアパートに転がり込むように引っ越してきた。女性ってしっかりしているもので、シンは雪菜が身の回りの事をしてくれるのをあたり前のように思うようになった。シンは思う。雪菜がこんなにも自分のことが好きなんだという事を。相手が年下なのにどうしても甘えてしまう。雪菜が働いたお金は二人の生活費で消えてしまうし、彼女自身の服や化粧品も買う余裕もなくてである。自分は車にかかるガソリン代や、昼飯代くらいの稼ぎしかなくフェアーじゃないと心には思っていた。いつかその事を話した時、「それでもいいよ」と笑ってくれたのは雪菜だった。
雪菜のために別れようと思った事もあったのだが。作ってくれたお弁当にシンの好きなものが並んでいるのを見て遅からず、自分を一番解かってくれているのが彼女であることに気付くのだ。シンにはエンジニアになりたいという野心があっても、博士の称号を取って大学院を出られるかという関門を目の当たりにしていた。

  5節

 そんな二人でも楽しい毎日が続いたのであったが、ある日予期せぬ出来事が起こったのだ。シンが名古屋から帰宅した深夜、自宅に雪菜の姿が見えなかった。メールの返事が半日来ない事自体、シンにとってはあり得ない素行である。次第に心配になり、彼女のお兄さんの携帯に電話を掛けてみて事の真相を知った。落ち着いた声で相手は言った。
「シン君に連絡しろって言ったんだけどね、雪菜ひどく頭痛に襲われて救急車で病院に運ばれたんだよ。俺に連絡が来てさっきまで傍に居たんですけどねぇ」
「頭痛ですか?原因はなんでしょう?」
シンは不思議そうに尋ねた。「頭痛で救急」とはピンと来なかったからだ。
「CTにも異常ないというし、医者も判らないと言ってるけど痛みは引いたみたいで明日帰れると思うよ」
電話を切った後、シンは彼女を心配するのを止める様に音楽を流した。自分が心配性だったとは!? 所詮、誰でもそうであろう。ベッドに横になる。すると雪菜の携帯が転がっているのに気付き、そっと充電器に差しておいた。メール受信の青いダイオードが気になる。俺からのメールであろう。そう思った。塞(ふさ)ぎがちだった雪菜にも最近友達が出来たから、その子達からも来ているのかも知れない。シンは頑(かたく)なに相手を疑う事なく雪菜には接してきたのだが、彼女の方がシンの携帯を隠れ見たことがあった。それに気付き雪菜に問いかけると、彼女はキョトンとしてシンに謝ったのだった。もちろん自分にはやましいことがないから怒りもせずにいた。今、お返しに見てやろうなんてシンに無かったのは、自分に自信があるからであろう。とにかく明日の朝、メモ書きに控えた病院へ雪菜を迎えに行こう。そう決めて寝ることにした。

 その病院は、二人の住むアパートから車では直ぐの場所にあった。
「心配掛けてごめんなさい」
総合病院のロビーで会計を待つ雪菜が第一声で言った言葉であった。
「心配したよ!」
それから病院を後にし、車は満開の桜みちを抜けて行った。その途中にある軽食店で、遅い朝食を摂る事にした。パリパリのトーストにはマスタードが入り、ファーストフードとは違う喫茶店の味がした。
食後のデザートが来ると冴えなかった雪菜の顔がニコリとした。
「そうだ、今日は雪菜に報告があるのだよ!」
「報告?」
「うちの両親が雪菜に逢いたいと言ってる。というかそんなに好きなら結婚しろとね」
「反対してたのにね。私頑張るからね!」
「俺たち二人で頑張ればいいさ。これからは雪菜に負担掛けないようにしなきゃね!」

  6節

 その十日後、夕食を食べたあと二人でTVのナイター中継を観ていた。狭い部屋の中である。雪菜は違う事をする訳でなく、シンが傍に居るときにはいつも寄り添っていた。今日も一緒にTVを観ている。珍しくシンは、普段飲まない酒を飲み、酔ったせいか眠ってしまった。そんな中、微かにキッチンから野菜を切るような音がする。その音で目が覚め見てみると、そこにはエプロンの雪菜が料理をしているではないか。珍しそうにシンは思うとその傍に行き話し掛けた。
「明日のお弁当かな?」
すると雪菜は不思議なことを言った。
「何言ってるの?夜ごはんだよっ!」
「えっ?夜はさっき食べたじゃん?」
「すぐ出来るから、もう少し待っててね」
そう答えると雪菜は黙ってそれを続けた。結局シンは訳がわからなくなって「こんなの食えねえ!」と怒り布団に入ったのだが、それでも彼女は泣きながらご飯を口にしていた。シンは、最近物忘れの多い雪菜を思い出すとおかしいなと思い始めた。翌日、彼女を病院に連れて行くことにした。雪菜もその後も頭痛があったと告白した。

 診察室に入ると雪菜を横目に、もう一度調べて欲しいと主治医に頼んだ。検査が終わり廊下で待つ二人。やがてシンだけが呼び出された。
「見落としてましたなぁ」
40くらいの主治医は深刻そうに言うと、CTのフィルムをライトボックスにかざした。
「悪いとこあるんですか?」
「我々にとってもまだ例の少ない病気とされてますが、脳のこの部分が萎縮してるようですねぇ。前の写真と比べると発病してる可能性があるなぁ。40代からが多いんですが、彼女の歳でも..あっ、若年性の痴呆症と言われるものです」
医者は前頭葉のある部分を指して言った。そして医者は病についての注意など淡々と語ったあと、シンは口を開いた。
「この病気って治るんでしょ?」
「残念ながら..」
「え?..じゃあ、進行を止める治療は?」
「奇跡を望むしかないでしょう。出来る範囲で本人には好きな事をさせてあげる事です。とりあえず投薬で押さえましょう。それから保護者か身内に来てもらって話をしたいのですが?」
「両親は事故と肺の病気で亡くなってます。兄貴が一人います」
シンは力尽きた様に震えた声でそう言った。
「それなら貴方に言いましょう。…雪菜さんの命は短いと思っていてください」
医者は、最後は目を逸らして言った。
雪菜は科の受付で看護婦から薬の説明を受けていた。シンはトイレに行くと言ってその横を過ぎて行った。と同時に涙が溢れ出した。そしてトイレの洗面所で顔を洗った。しばらく涙は止まる事がなかった。戻らなくては…。
「シンちゃん、どうしたの?何か変…」
「おお、どうでもないよ!そうそう、薬で良くなるってさ」
「私、別に具合悪くないし、明日から仕事行くね!」
「でも先生が、しばらく休養しろって」
「私も言われたけど。も~、ただの片頭痛なのにねっ」
「言われた通りにしようよ。今年は授業少ないし俺もバイト沢山できるからさっ」
「うん。シンちゃんに迷惑かけちゃうね…」
「生活費は俺が稼ぐって言ってるだろっ!」
優しい言葉のつもりが、悔しさで何故かキツくあたってしまう。
「もしかして私、重い病気なの?言って?」
思わず立ち止まると雪菜の肩をぎゅっと抱き、頭を撫(な)でるシンであった。
「片頭痛だから入院する必要はないよ」
やはりシンには嘘しか言えなかった。医者の言う、「自分の言動が判る間」はこのままの生活をしていこうとシンは思っていた。けれど今の雪菜を見ていると、今日の出来事はまるで夢のようで半信半疑でもある。
夕刻に兄貴夫婦が来ると、シンは雪菜を奥さんと買い物へ行かせ雪菜の兄さんと話をした。兄さんが雪菜の面倒をみるという言葉に、シンは直ぐに反応した。
「僕はエンジニアなんかなりたくないんです。夢は、彼女、雪菜といる事なんです。とにかく自分が働いて彼女を幸せにします!」
「じゃあ、何かあったら遠慮せず言ってください。お願いします」
兄さんはシンに頭を下げた。

 7節

 シンは五月(さつき)晴れの一本道を隣町まで歩いていた。予備校へ面接を受けに行ったのだ。自分が講師として教えるのは無理だと思ったが、二人の生活の為でもあったし、我が学力を試してみたくもなったのだ。採用が決まり、週5日夕方より夜の十時まで働き始めた。少しすると雪菜が薬の副作用で昼にも睡眠をとるようになった。物忘れは多いもの、発作的に家を飛び出すといった大きな変化もなかったので、シンは日中にもコンビニのバイトを入れた。期限が切れた弁当など、店長がいる時には内緒でくれるようになった。真面目に働くのを見てだろうか?シンは以前と違っていた。昼に一度、雪菜が訪ねてきて店長に愛想つかせていた。もともと明るい彼女は「ホウキとチリトリ貸して!」と言って、店の前を掃除したりしていた。
そんなある日、雪菜がしょんぼりして店に現れた。シンは、具合悪そうな雪菜を見て店長に早退を申し出た。店長も心配そうに見送ってくれた。手を繋いで歩く。
「シンちゃん、ごめんね…」
「ちゃんと寝てないといけないぞ!」
シンは雪菜の手を強く握ってそう言った。
「だって淋しかったんだもん。シンのとこ来たら治っちゃったみたい」
雪菜がシンをちらっと見て言った。そして思い出したように言った。
「ミライモータースってとこから電話来たよ?」
「うちに掛けるなって言ったのに」
そうシンは小声で言った。
「車売っちゃうんだね。…ごめんね私の為に」
と、雪菜が言うとシンは複雑な気持ちになった。ローンで買った車でないため現金が入ってくる。維持費も掛からなくなれば雪菜を何とか見てあげられると思った。と同時に、好きな愛車だけに複雑なのだった。立ち止まると、それを振り切るようにシンは言った。
「ユキの身体が良くなったらまた買うさっ」
心なしか雪菜の目が潤んできた。雪菜は一言云った。
「ありがとう」
シンは笑い飛ばすように言った。
「車売りとばす前に海ほたるまでドライブ行こうぜ!」
「賛成!」

 三度目の夏がやって来た。昼下がりの公園では、夏休みに入った少年たちが走り回っている。そしてあまりにも朗らかな雪菜がいる。彼女の命が短いだなんてシンには思えなかった。清い彼女のことだ、絶対「奇跡」が来るはずだ。僕たちは秋で三度目の恋人記念日となる。グランドでは少年野球の練習をしている。長閑(のどか)な光景を見ながらシンは思いだした。いつだかこんな風に歩いているとき雪菜と話した会話をである。彼女の初恋の人がピッチャーやっていたこと。シンがサードで人気者だったと自慢し、笑ったことなど。言葉には出さないが彼女もリフレインしているに違いない。思えば僕らの感覚は似ていた。

-八月十日、ユキの容態が悪いようだった為、休暇を取ったのだが..- (←シンの日記より)
「今日は仕事休んだから一緒に居よう!」
シンは楽しそうに言った。わざと明るくしてるのがバレバレだ。それもそのはず、雪菜がおとなしい時のシンは無口だったからだ。シンは返答のない雪菜の顔色を伺った。それが聞こえなかった様に雪菜は着替えると、さっさと布団に潜り込んでしまった。症状が出てるな。シンはそう思い、そっと雪菜の横に入ると後向きの背中を抱きしめた。かわいそうに。
「シンちゃん、別れよっ?」
「えっ?」
思いも寄らぬ言葉にシンは絶句した。雪菜は正気かつ冷静だったようだ。
まるで崖から突き落とされた様に、一人芝居の舞台に雪が舞うように..故に開いた口も塞がらなかったというとこだろう。
「どうしたのユキっ?」
シンは尋ねた。が、返事はない。もう一度問う。
「どうしてそんなこと言うんだ?」
「..シンには自分の道を歩いて欲しいんだっ」
「自分の道だって!? 俺は自分の決めた道を歩いてるよ。その道が幸せだと信じてる!」
雪菜は泣いてるようだった。
「ユキ、こっち向けよ」
彼女はゆっくりと寝返りをうった。流す涙は、シンも同じだった。
「いつまでも一緒に居るからさぁ、そんな心配すんなよ」
「うん。大好きだよ!?シン。泣いたらまた頭痛くなっちゃった」
「なら泣くのやめよう」
「わかった。こんなちっぽけな事で凹でたらバチ当たるよね?でも最近、ちょっとした事が幸せに思うのね。病気になるとそうなのかなぁ?」
「たぶん」
シンは短く言った。そして『残念ながらユキの病気はちっぽけな病気ではないんだよ』と心の中で呟いていた。

 その夜、シンは晩酌してほどよく酔っていた。そして雪菜に本当の事を話すことにした。前から話そうか悩んでいたが、雪菜が悩む様な性格でなかった事も念頭にあった。輪をかけ雪菜の気分もいい様子だったからそんな気にさせたのであろう。それは床に就く前であった。
「ユキに話があるんだ」
「何?急に?」
しかし上手く切り出せない。
「うん、大したことでもないんだけど…。いや、重要なことかも知れない。大したことだ。まぁ」
雪菜の真剣な眼差しがシンの言い方に反応したのかにこやかになった。シンは逆にドキッとして目が覚めたのだった。今俺が思っていることは彼女の希望を打ちのめすだけではないか!俺が自分の嘘を許せないだけであって、むしろそれが正論かも知れない。凹んでいた雪菜だって散々見てきたはずだ。シンは思い留まり頭を掻(か)いた。そしてもう一度、相手の目を見て言葉を発した。
「結婚しよう!」
それは、真っ向から言える言葉だった。
「な~んだ、そんなことかっ。どーしよっかなぁ~」
マジなシンに対して雪菜は焦らした。その顔は明らかに嬉しそうであった。

 8節

 そこにはひと束のお花が飾られていた。時折晩秋の風が吹き抜ける。先日雪菜の一周忌が来て、ようやくシンの気持ちも慰められてきた。「こんなに若いのにねぇ」それは誰もが彼女に告げる言葉だった。雪菜が若年性の痴呆症を発病してから一年と五ヶ月、結婚して一年、記念日の翌月に最期となった。終いには雪菜に自分の存在すら忘れられ、付きっ切りで過ごした静かな夏となった。『ユキ、奇跡が来るから待ってろよ!』胸の内で毎日祈っていた。序々に感情も無くなっていった。それでも彼女を毎晩抱きしめて寝てあげた。
雪菜が逝ってしまうと、シンには奇跡という言葉が信じられなくなってしまった。

「奇跡は来るよ!信じてるんだ」

その言葉は、パソコンの世界にのめり込んでしまったシンの心を目覚めさせた。ブログで見つけた‘ひとつの命’。その言葉はある少年のものであった。その難病の少年には励ましの言葉しか出せないけど、シンの中で「奇跡」という言葉が蘇(よみが)えった。

                              完


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Every-day’s valentine ~想い焦がれて~
 夏の夕暮れ、横浜駅6番ホームで間もなく別れが訪れる。先ほど藤沢駅構内で起きた人身事故の影響で、18時21分発の‘寝台特急さくら号’の到着が遅くなるという案内が電光板には提示されている。リマにはその方が嬉しかった。三ヶ月ぶりに会いに来てくれた遠距離恋愛のヒロシと、また離れ離れになってしまうからだった。土日の連休だけじゃ物足りない。いっそこのまま彼と福岡まで行ってしまいたいくらい好きだった。今日は泣かないと決めていたのに自信がない。前がつかえ待機していた湘南電車が先に見切り発車をして行った。
 遠恋の別れの瞬間にはジーンとくるものがある。シンデレラエクスプレスの逆バージョン。「去られて行かれる方は辛いのよ」とリマは彼への手紙に、この気持ちを書いた事があったが、「僕が逢いに行くよ」と旅好きで列車マニアのヒロシは東京に来たがる。彼はいつも重いバッグと三脚を持ってくる。決してリマには預けず毎回持って帰るのは、彼にとっての宝物なのだろう。リマは興味のかけらもない彼の趣味に初め抵抗があった。デートの場所はいつも線路際。来るなと言われても付いていくのだった。夏の日中は強い日差しでレールの鉄の匂いがする。女性には場違いだと思う。それでも何度も一緒に歩いているうちに、彼の情熱が鉄道だけじゃない事に気付き、どんどん惹かれていった。そしてヒロシが、自信のない自分を好きになってくれ、そして愛してくれる事に感激していた。 150センチのリマは足の長い180センチのヒロシと歩いているだけでときめいていた。出会いの切掛けは後で述べよう。
 EF66機関車の引くブルーの長い14系客車が入線してきた。何しろ馬力のある電気機関車らしい。荷物を肩に掛け直し、リマを見下ろすようにヒロシは見た。
「リマ、来月の盆休み福岡に来ていいよ。切符送るからさぁ」
「えっ!? いいの?」リマは嬉しそうに言った。
「ああ」言葉少なくヒロシはそう言うと背中を見せ、列車のタラップに足を掛けた。『何か言わなくちゃ』と思ったが、目一杯の笑顔を作り「気を付けて」とありきたりのセリフを告げた。彼も笑顔で手を振ってくれた。列車は走り出し、そのテールが見えなくなるまでリマは見送った。前回同様、劇的でジーンと来るシーンだった。このホーム上、自分だけが浮いた状態に陥る。そして根岸線に乗り家路に向かう。
 まばらな車内の席に着く。リマは24歳にして恋愛は二度目だった。ヒロシと付き合い一年が経つというのにキスまでしかしていない。いま時こんな純な愛され方をされるのはどうだろうか?と思ったりもする。もしかして彼には地元に本命の彼女が居て、私はただの女友達に過ぎないのか?もしくは彼も恋愛べタなのだろうか?もっとも何も聞けない自分が嫌でしょうがなかった。やっぱり自分に魅力がないのかしら…。港南台に着き、出来たばかりのエスカレーターで改札口へ上る。外はまだ暑かった。淡々と続くアパートへの道を行く。何か考えるにはもってこいな静かな一本道。電車で考えていた事を引きずっていた。一人暮らしの部屋に着き、彼の吸った灰皿の始末をしながら、『今頃さくら号はどの辺を走っているのだろう』と、気になっていた。そして、『まっ、いいか。次の約束してくれたんだもん』そう開き直った。恋する事って相手と離れていても センチメンタル で魅力的だとリマは思う。ふとんに入り、「もっと綺麗になってみせる」と誓い、三日間の疲れから熟睡した。

 (回想①)
 リマとヒロシの出会いは文通からだった。旅好きのリマが一年前、友達と九州を旅する際に買った旅行誌に玄海島の記事を見つけた。そこをプランに加える事にした。それは福岡に住むヒロシの投稿記事だった。住所も載っていてペンフレンドも募集していた(個人保護法もない時代の話である)。玄海島を訪れ帰宅してから、その記事を思い出し、彼に向け九州に惚れた事を書き綴った。正直、返事など返って来ないもんだと思っていたのだが、便箋にびっしり三枚もの返事が来た。そして彼に好印象を持った。知らないうちに手紙のやり取りだけが続いていた。今時『文通だなんて』と思うかも知れないが(携帯のない時代である)…。初めは旅の話で持ちきりだった。不思議なもので、親近感から気心が知れてくると、プライベートな相談事までも書くようになっていった。彼氏のいなかったリマは、写真の交換をし、彼に印象通りの男性であった事から想いが募った。電話で初めて話した時も、年上のヒロシがリマに優しい印象を与えてくれたのだった。ヒロシは大学病院で事務をしているという。リマは普通のОLだ。
 初めて逢ったのは羽田空港の到着ロビー。ヒロシは土日休日を利用してやって来た。約束の時間が近付くとリマはドキドキした。そして無事に逢えた二人は、空港展望レストランで食事をした。ヒロシはリマの思った通りの男性だった。その時『予想を外してしまったわ』と、リマは思った。スーツズボンとスーツシャツ姿のヒロシに対し、自分はジーンズにブラウスとラフであったからだ。不思議とタイミング良く、彼は「かわいい格好似合うね」と言ってくれた。たいてい子供っぽく見られる小柄なリマは、とにかく自分らしく決めようとこの服を選んで来たのだ。食事のあと列車好きのヒロシは憧れの京急2100系に乗ってみたいと言い、リマも楽しみに出発していった。蒲田で丁度やって来たお目当ての車両を見たヒロシは、「新しくて屋根上のクーラーも足回りもピッカピカだねー」と言った。空いてるクロスシートに並んで座った。動き出す。‘ウイ~ンウイ~ン’と調音されたVVVFの主電動機の音に二人笑っていた。電車はぐんぐん加速して行く。三浦海岸で降り、浜辺へ出る。人影まばらなのはシーズンオフになった証拠か?しかしまだ、夏の暑さではあった。二人の影は波に洗われた砂に伸びていた。こんなデートが初めから出来た事に、リマは乙女チックな運命を感じた。そのあと横浜まで戻り、よそよそしい九州男児を中華街へと案内した。露店の姓名判断で二人の相性を占う。また、雑貨店に入っては、ヒロシからペンダントのプレゼントをしてもらった。遊び疲れたその日の晩、リマは彼を自分の部屋に泊めてもいいと思っていた。もしもと思い部屋の片付けはしてあった。控えめなリマでもいざとなると大胆なのだ。けど、思っていても言えないのだから、結局は奥手な自分になってしまう。とっても好きになったヒロシから、明日もよろしくと言われた。嫌われずに済んだ様だ。ハッピーになったリマは関内の改札で別れると、大船行き電車に乗った。一方ヒロシは、品川プリンスホテルを予約してあるんだと言い、向かいのホームへと消えて行ったのだった。
 翌朝九時を回った頃、リマは化粧をしていた。そこへヒロシから連絡が入った。いま横浜駅に着いたと言う。電話を切り、「予定より早いよ~」と呟きながら急いで身支度を済ませ最寄の駅へと向かった。電車がホームへ入って来たようだ。『彼を待たしちゃいけない』と、階段を駆け下り、閉まりかけるドアをすり抜け飛び乗った。『何年振りだろうか?取り乱すほど気持ちが揺れている』。また時計をちらりと見る。今日の勝負服はイメージをガラッと変え、昨日の彼と合いそうなオレンジ系のスーツを選んでみた。前方に大きなターミナルビルが見え、右手に大きくカーブして行くと横浜駅だ。待ち合わせのホームで待っていたヒロシに気付かなかったのは、昨日と相違って、彼がジーパンにTシャツ姿でいたからだ。また外した。そう思った。彼は若返って見えた。
 駅ビルの喫茶店に入りリマが服装の話題を切り出すと、ヒロシは初めてそれに気付いた様に笑ってみせた。ヒロシは出来れば東京で暮らしたいと言う。首都圏の鉄道が好きだと言う。理由はともあれ、彼の移住希望は大歓迎だ。ただそのあと、無理なんだと漏らした。それから‘みなとみらい’の映画館で「エスケイプ」という話題のアクション映画を観た。リマが一緒に観たかったのは隣ホールでやっていた「君への想い」というラブロマンスだった。今日もリマは控えめな女の子だと思った。
時間は果かないものだ。夕刻、横浜駅の‘みどりの窓口’に二人は居た。19:09発【のぞみ27号】博多行きの切符を買い求める彼の後姿をリマは見ながら、異常な刹那を覚えた。そして、「これが最終新幹線なんだ」と言う彼の言葉に、自分に対する優しさと別れの宿命を投げかけられた気がした。最後になってリマは「新横浜まで送りたいの」と甘えた声で言った。ヒロシは手を差し出し「行こう」と言ってくれた。甘ったれのリマは、前の恋に失敗した理由が解かっていた。甘え過ぎて相手に負担を掛けてしまったという事を…。年上で背の高いヒロシに対して、遂に甘えちゃう感覚に陥ってしまった。嫌な顔せず彼は手を握り締めてくれていた。彼に言って欲しかったひとつの言葉をリマは待っていた。「恋人になって欲しい」って言葉だった。混み合う車内で、リマは思わず彼の腕を掴んだ。そして新横浜までの短い時間、二人して窓の外に降り注ぐ夕立ちを見ていた。雨は直ぐに止み、日没前に虹が掛かった。
 新幹線ホームに上がる。そこはいつも特有の旅路を感じさせる。更に淋しさを感じたリマは思わず「また逢って下さい」と、敬語でヒロシに言った。すると彼は、「前から君と一緒にいるみたいだね」と言った。『それって彼も別れを惜しんでいるのだろうか?』リマは思った。そして、ゆっくりと新幹線が入って来た。その時、ヒロシが「遠恋しようか?」と言った。「はい」と釣られた魚の様に返事をした。
「楽しかったね!博多着いたら電話入れるよ」Tシャツ姿のヒロシは言った。
「待ってます」リマは答えた。ヒロシは、円形状の‘500系のぞみ’に乗り込んだ。発車べルがずっと鳴っている。ドアが閉まり、丸みを帯びた車体がゆっくりと動き出す。目の前から彼が去っていった。それが遠方へと消えて行くのを、リマは切なく思ったものだ。

(回想②)
 この夏が終わる頃、遠恋も一年経つ事となる。その間ヒロシは5度逢いに来てくれた。二度目からは寝台に乗ってだった。通称“ブルートレイン”と呼ばれ、鉄道マニアを始め旅行者にも親しまれている。しかし年々の輸送力はスピードの速い新幹線や飛行機が主流となった為、時間を掛け旅や移動をするといった事が好まれなくなり、今では廃止に追い込まれた列車も多い。(平成十七年では数える程度まで激減) リマはいつでも突然のヒロシの上京には対応していた。来る時には前もって切符を買ったという連絡がくる。常識では相手が逢える日を聞くのが先じゃない?と思えるが、リマはその突然さに嬉しくなり、彼を素直に受け入れるのである。他に逢う人がいて・・なんて疑う術もない。単純なリマは、そもそも聞きたい事も聞けない内気な子であった。毎回ヒロシは金曜の晩に福岡を出て、翌朝11時過ぎに横浜に着く‘はやぶさ号’でやって来る。帰りの寝台は日曜夕刻に出発するのだが、「それでも翌朝の仕事には間に合うんだ」と言っていた。今回復路に利用したのは、文頭にも書いた‘さくら号’であった。‘はやぶさ号’と違って客車の形式が違うんだと言う。24系客車(正式には24系25型)と14系客車寝台があるというが、‘はやぶさ号’は24系で‘さくら号’は14系らしい。リマも一度寝台というものに乗ってみたいと思う。もともと旅好きなだけ興味があった。今回の見送りのあと『次は、私が行きたい』そう思った。
 リマより年上のヒロシは気さくな兄ちゃんだった。寝台で来る朝は髪がボサボサであるし、フットワークも軽い。もともと島根出身という彼は、九州の大学に入りそのまま就職したと言う。仕事の時にかけるという眼鏡の彼はちとインテリでリマは好きだった。年頃の女心は絶えずそんな彼にあり、離れていてもいつも想い焦がれる。また、自分より鉄道の方が好きなのかと思うときもあるが、他の女と浮気をされるよりはましだとリマは思っていた。初めてしてくれたキスはあっさりしていて今でもそれは変わっていない。リマは時たま思う。遠恋を長続きさせる秘訣ってなんだろう?互いの「愛のバランス」だろうか?相手を信じている事が重要で、甘えていたら相手の負担にもなる。結果、心配掛けるからだ。仮に自分の愛の方が強いとするのなら釣り合わないと思う。マメだと思っていたヒロシは案外不精で、コールするのも自分の方であったからだ。気持ちが揺れれば想いも募る。一瞬また、相手を信じられなくなるという不安に駆られた。いやいや、いけない!彼は忙しい人なんだから…と打ち消してもみる。

 今回リマが勇気を出して彼を自分の部屋に泊める事に成功したのは、‘私たち恋人なんだよ’という腹立たしい気持ちからだった。土曜のデートのあと、彼の手をギュッと握ったままリマは「うちに泊まって欲しい」と言った。すると驚いた事に、いつも断っていたヒロシが「ありがとう」と言い喜んで付いてきたのだ。自然な形で二人きりの夜を迎えたいとリマは思った。駅からの道のり、暑い日中から一転して心地のよい風が吹いていた。マイペースなヒロシはアパートに着くと、先ほど撮った鉄道写真のデータをメモった小冊子を整理していた。そしてバッグからカメラを取り出し掃除をしていた。今日は千葉の田園地帯を走る電車を撮りに行ったのだった。ヒロシが‘はやぶさ号’で横浜着いたあと、リマと合流し一緒に行った。帽子をかぶり真夏の太陽を遮った。汗もいっぱいかいた。三脚を立てファインダーを覗くヒロシは、やってきた高速の列車を撮っていった。そんな待ち時間には写真やカメラの話を彼は語った。眩しい線路際はレールの鉄の匂いがしていた。帰宅してからも、ヒロシは少年の様にカメラをいじっていた。その間にリマは、買って帰った食材で夕食を作った。そして初めてリマの手料理を口にしたヒロシは、美味しいと言って沢山食べてくれた。九時からは二人で土曜ロードショーを観た。別に映画には詳しくないとヒロシは言いつつ、映画好きのリマより断然それを知っていた。始めて逢った時に「映画でも観ようか」と言ったのも彼の方だった。何もない小さな部屋で寝転がりながら観ていると、ヒロシがリマに腕枕をしてくれた。ヒロシとこんな風に過ごすのは始めてだったリマはやたらと緊張した。ハッピーエンドでなく味気なく終わるその映画にリマは嘆くと、ヒロシは「これがいいんだ」とストーリーを振り返って語ってもみた。ふとリマは思った。『私たちもそんな風に終わってしまうのかな?』と…。ついそれを漏らしそうになったが、大切な夜を台無しにしたくなかったから言わなかった。と言うより言えないと思う。
「ヒロシさん、先にシャワー入る?」リマは窓の風鈴を掛け直しながら言った。
「うん、そうさせて貰うね」ヒロシは立ち上がると替えの下着を持って浴室へと入って行った。ヒロシが出たあと今度はリマが浴びた。その間彼はTVでスポーツニュースを観ていた。さっぱりしたあと、冷やしておいた缶ビールで乾杯をした。ヒロシがTVを消した。静まった部屋は二人をぎこちなくさせた。
「あっ、音楽流すね」リマはそう言うと可愛らしいコンポの電源を入れ、CDプレーヤーを再生した。これはリマが予め仕掛けておいたCDだった。最近お気に入りのショパンの“ノクターン9-2”をはじめ、バラッドなテイストばかり集めたピアノ集だった。ヒロシは立てかけてあった鍵盤を見つけ言った。
「ねぇリマ?そこにあるキーボード弾いてみなよ」
「買ったんだけど全然弾けないの。ごめんなさい」リマはそう返事をした。するとヒロシはそれに興味を持ったのか床に寝かすと電源を差し、かかっているCDを止めた。次にそれを軽快に奏でてみた。まさにそれは“ノクターン9-2”であった。リマは驚きつつそのメロディーに浸っていた。逢う度に彼の事が分かっていくのもさながら、もともと自分にある才能などなかったリマはますます劣勢になる。そんなヒロシに褒められた事が一つあった。それは「君と居ると癒される」といった言葉であった。彼は弾き終えると鍵盤を片付けて言った。
「おいしいとこ取っちゃったね」
「うん」元気なくリマは答えた。
「一緒に寝るか」ヒロシはそう呟き先にベッドに入っていった。
「ねぇ、私って何の取り柄のない子でしょ?ヒロシさんにはつまらないと思うな」リマは真意を伝えた。ヒロシはリマの顔を見つめた。
「そんなリマでも好きだよ」暫く黙ってしまったヒロシはそう答えた。
「ありがとう」リマは素直に言った。
ベッドの上に並んで寝ると、ヒロシが手を握ってきた。それから彼は小柄なリマの上に乗りそっと口づけた。クーラーの音が意味深に静かな空間を埋める。リマは覚悟していた。そしてリマが彼の胸に甘えると、ヒロシはずっとリマの髪を撫でてくれた。彼の腕の中は心地よく、リマは今か今かとその先を待っていた。しかしそれから何もなかった。そんな二人はいつしか眠りに就く。そして朝を迎えた。リマは物足りなかったが、きっと大切にされているんだとその時は思った。ヒロシとはそういう経過だった。(以上回想)


 リマは横浜から地下鉄で、三駅程西にある三ツ沢でОLをしている。ひとり暮らしに憧れ、二年前同じ町にある実家の団地を出た。早くに結婚し嫁いだ姉が一人いて、そこには二人の子供がいた。八月に入った日曜日、リマは子供たちを実家に預けた姉と車でショッピングへと出掛けた。第三京浜を突っ走り、青山、表参道へと向かう。
 行動派の姉は旦那のスポーツカーを乗りこなし、カジュアルな服を着こなすリマの憧れの女性でもあった。しかし二人の性格は正反対だし、背の高さもかなり違う。姉は父親似でリマが母親似だった。男の話題になっても好みが違うため意見が食い違う。それにリマは今の彼であるヒロシの存在を姉には隠していた。遅い昼食をパスタの店で摂った。適齢期の妹を持つ姉のリカは、話題を恋バナへと持っていった。
「リマちゃんまだ恋人できないの?もしかして出会いとかないんじゃなぁい?」リカはストレートにそう言った。姉の言い方には慣れているもの、その時のリマには姉の言葉が妙にキツく聞こえた。腹のたったリマは、
「結婚前提で付き合ってる彼がいるわ」と言い切った。
「そんな大事な事、どうして早く言ってくれないの?」そんな風に言いながらも姉は妹の朗報を喜んでいた。彼の写真を見せると、姉は「いいわね」と絶賛した。
「押していかなきゃダメよ」とリカは言った。
姉と別れてから、『きっと特種になるわ』とリマは思い、姉に話した事を悔やんでいた。結婚前提だなんて言ってしまった口実がそうさせたのだ。

 八月の盆休みに「逢いたい」とリマはヒロシに伝えてあったのだが、彼の仕事の都合で逢えず仕舞いであった。彼と一晩を共にしてから、少しずつリマは自分の気持ちを彼に伝えたいと思う様になっていった。既にテレビでは秋の新番組が始まっていた。毎週決まって観るドラマのなかったリマが今回はまったのが、その名もズバリ、“遠恋の仕方”というタイトルのドラマだった。設定はともかく、自分たちをプレビューさせた様な物語であった。東京に住むバンドマンの勇吉が、京都から仕事で訪れた美人OL、藍と知り合い好きになる。藍には見合った彼氏がいた。リッチな商社マンだった。貧乏で冴えない身なりの勇吉が、普通列車で京都まで逢いに来てくれた事から、藍は東京のライブに来てくれる約束を彼にした。そして二流ステージのバックを勤める勇吉を観に上京した。一途にドラムを叩く彼に心打たれる。静かな東京駅に最終「ひかり」が発車を待っている。藍は勇吉の頬にキスをした。一週目がこんな内容であった。彼女の揺れていく気持ちが、リマに共感を覚えさせた。自分の恋愛とは立場が逆かも知れないのだが…。
 もっと彼の気を惹かせなくては?と思い付いたリマは、会社帰り大きな書店に立ち寄った。一角に趣味のコーナーがあり、そこには鉄道のカテゴリーもあった。そこから選んだのは、『鉄道物知り図鑑』というHowToものの本だった。レジに持っていくのに抵抗はあったが、カバーを掛けて貰うと早速電車を待つホームで本を広げてみた。形式や専門用語が並び、リマにはちんぷんかんぷんだ。それでもヒロシに教わた車両に馴染みを感じ、その特性など暗記してみた。この事は内緒で、絶対に驚かせてやろうと決めた。

 10月のウィークデー、リマはジーンズに旅行カバンを持ち出勤した。そして仕事を終えたリマは直ぐに横浜駅へと向かった。乗り換え通路の売店で、駅弁とお茶を買うと先を急いだ。電光掲示板には、次発「はやぶさ号」の案内が。ヒロシからの切符を片手に持ち階段を上る。列車は丁度やって来たところで、リマは近くのドアより車内へと乗り込んだ。チケットを見ると11号車9番下段のB寝台と明記されていた。ゆっくりと駅を離れ、コトコトと動き始めた。初めて乗る寝台車の通路は狭く感じたが、ずらりとベッドが並びわくわくしてきた。リマの席のあるボックスには誰も居なかった。荷物を置くと売店で買った“三彩おこわ”を広げた。暮れてしまった景色は少し寂しげだった。暇つぶしに持ってきた小説を読んでいた。富士から一人若い女性が乗ってきてリマの前の席に座った。彼女は持っていたビニール袋からお菓子を取り出すと、どうぞとリマに差し出した。何となく話が始まって、時間も経たないうちに仲良くなった。ふたり名前が似ていたのには頼もしかった。りこというその彼女は、ラウンジカーにいってみませんか?とリマを誘った。そうする事にし、貴重品を持って席を離れた。(別に、西○京太郎の殺人事件の導入部ではない) 訊くところに寄ると、彼女も恋人のいる終点熊本まで乗るのだと言う。遠距離恋愛である。何という偶然か?
ラウンジカーには丸いテーブルと椅子が幾つかあり、くつろげるスペースになっていた。リマたちは自動販売機で缶ジュースを買うと椅子に着いた。
「実はあたし、今回で彼と最後にしようと思って…」一つ年上のりこが言った。遠距離恋愛についてである。
「嫌いになったんですか?」リマはストレートに言った。
「好きだから辛いんだっ」
「結婚とかダメなんですか?」
「違うよ。彼には奥さんいるし。…リマちゃんは純愛?」
「そうです。たぶん…」
「たぶん?」
「あっ、純愛です。時々不安になる事あったけど、そんなの私の思い過ごしだと思うんで…」
「ふ~ん」りこはお姉さんぽく話を聞いてから、笑顔に戻って話題を変えた。
 この夜リマはぐっすり眠れた。目が覚めると朝になっていて、関門トンネルを抜け小倉に着く所であった。洗面所で顔を洗い化粧をする。そしてあと一時間程で博多着の案内が入った。車窓を流れる九州の朝が新鮮に思えた。きっと彼もブルートレインで過ごし、こんな朝を感じていたのだろう。席に戻ると上の段から年配のおじさんが降りてきた。大阪辺りから乗ってきたのだろうか?向かいのカーテンはまだ閉まっていた。博多に着くとリマはりこを起こさず降りようとした。メモに、『昨夜はありがとう。楽しかったです』と書き、そっと彼女のカーテンの下から差し込んだ。旅には出会いがあると言っていた彼を思い出していた。そんな彼に逢えるのも時間の問題となった。10時前に定刻通り博多駅に到着。リマは九州の地を踏む。近くのベンチにいるヒロシを発見したリマに、自然と笑顔がこぼれていた。
「ようこそ!」ヒロシはそう言って小柄なリマ肩を抱き寄せた。
「いつもより優しくない?」ヒロシの清々しい表情につられリマは恋人らしい口調で言った。それにいつもの遠慮はやめようと誓って来たのだ。
「寝台はどうだった?」
「ドラマティックだったよ。ちょっとした出会いあったし…女の子だよ!」
「そうか」ヒロシは笑っていた。
動き出す列車を二人は見送る。すると窓から手を振る女性がいた。りこだった。リマたちも手を振って返した。
「ドラマだったようだね」さりげなくヒロシは言った後、リマの手を引いてコンコースへと降りていった。駅を出て近くの地下駐車場にヒロシの車があるようだ。リマにはよく分からなかったが、それは真っ赤な911ポルシェだった。値の張る車だという事だけ判った。そして天神、中州といった繁華街を抜け、姪浜にあるという彼のマンションへと向かった。
 レンガ貼りの高級マンションに着くと、最上階にある部屋へ案内された。広い窓からは海が見える。大気の状態のいい事もあり、微かに韓国も望めた。いつも持ってくるカメラバッグと三脚が広いリビングに置かれていた。ヒロシに対し庶民的な暮らしを想像していたリマには、リッチな彼の生活ぶりを知ると何となく夢が遠ざかった気がした。普通の女性ならこんな生活に憧れ、彼氏からのVIP扱いにも鼻高々であろう。リマの見ていた夢は、好きな人とコツコツと力を併せ生活していくものだった。その方がきっと幸せになれると思っていた。
「どうしたの?なんか暗い表情してるよ」ソファーに腰を下ろしたヒロシが言った。
「何でもないよ。…凄くリッチで驚いたから」リマは答えた。するとヒロシは笑い出した。リマも近くのチェアに腰掛けた。
「この部屋も今月いっぱいで失うんだ」何だか楽しそうに彼は言う。買って帰ったちらし寿司と淹れたお茶をリマに差し出した。
「まっ、食えよ」ヒロシは朝ごはんを食べていないリマに言った。
「頂きます」リマは言いそれを広げた。お腹がとても空いていたのだ。彼はそれを横目に話し出した。
「君と出会って本当の愛を知ったんだ。実は最近までここで一緒に暮らしていた女性がいた。婚約もしていた。彼女は金持ちの娘で、僕は不自由しなかった。けど僕らには愛がなかったんだ。東京に行く理由なんか写真の撮影で充分だったし、確かにリマとよく行ったね。君と知り合い好きになり、僕は君と本当の恋人になりたかった。ある日、彼女に好きな人が出来たとカミングアウトしたさ。当面は聞いてくれなかったよ。婚約までしてたからね。」ヒロシは冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し口にした。
「彼女、ヒロシさんの事愛してたんでしょ?」
「彼女は僕の気持ちより学歴や将来性を優先する人だった。もっぱらそんな家庭で育った人だから仕方ないけどね。僕は医大を出て大学病院で外科医してるんだ。君に普通のサラリーマンだなんて嘘を付いてたね。上手く休日も合わせてきた」
「それで突然…」
「突然行っても会ってくれたね。趣味も理解してくれた。そして僕に本当の愛をくれた。リマが好きになったヒロシはマテリアルなものじゃないって…あっ、車は僕の財産だけど、売って慰謝料にしたい」ここまで話したヒロシは缶コーヒーを飲み干しひと息付いた。リマも食べ終わりお茶を口にしていた。
「私に嘘付いてた事は許すわ。そういう人が居た事も…。でも、そこまで私を好きだなんて信じられないの」リマは言った。
「僕はリマと深い関係になって傷付けたくはなかった。彼女と別れるまではね。大切に思う程…」
「彼女とは?」
「別れたよ」
「私、あなたの事ずっとずっと想い焦がれてた」
「想い焦がれる?何だかいい表現だな」ヒロシはリマを見つめた。リマはバッグから一冊の本を取り出し、ソファーの横に並ぶとそれをヒロシに渡した。ヒロシはページを捲り、暫くそれを眺めていた。鉄道物知り図鑑であった。
「じゃあ問題です。日本で最初に女性乗務員が誕生した路線は?」ヒロシは言った。
「ええと…伊豆急行線。単線だよね?」
「凄いじゃん。今度乗りに行こう!」
「うん」笑顔でリマは応えた。
「私ヒロシさんの事がとっても好き」リマは始めて自分の気持ちを言葉で告白した。ヒロシは手にしてる本を向かいの椅子の投げると、小柄なリマの体を抱き寄せた。自然と重なり合う唇の向こうに空を感じながら愛し合う。欲情したリマは、ヒロシにブラウスのボタンを外されるのをドキドキしながら待っていた。そして二人は水を得た魚の様に抱き合った。
 真っ青な海に停泊していた船にいつしかライトが灯り、二人はベッドの上から素敵な夕暮れを迎えた。TVを点ける。KBC放送ではキリシタンで有名な平戸の中継をやっていた。
「西海までドライブしよう!」ヒロシはそう言うと、リマに軽く口付けベッドから降りた。
30分後には涼しげなスウェット姿のヒロシとドライブに出ていた。博多湾から玄界灘へとスケールアップした海を横目に、ポルシェは走り続ける。リマは、まるで‘二段うな重’を目の前にした時の様な感動をしていた。途中、休憩を兼ねディナーを摂る。二人で食べたロブスターは格別だった。そして更に西へと向かう。
「九州って好き」心解れ、ヒロシに愛されたリマはそう言ってハンドルを持つ彼の腕に寄り掛かった。
「くれた手紙に書いてあったね。西の海で恋してみたいとか…」
「照れちゃうからやめてっ!」リマはそうは言ったものの、彼がそれを覚えてくれていた事が嬉しかった。リマは眠ってしまった。ポルシェは平戸大橋を渡り、史跡の宝庫である平戸の島に到着した。リマは目を覚ました。普通夜来てもつまらないと思うだろう。でも、彼にNOは言わなかった。岩場で二人横になり、暖かい風をずっと感じていた。星が綺麗だった。
 会社に連絡を入れて休暇を延期したリマは、彼の出勤中掃除洗濯を楽しんだ。そして晩御飯を作って待っていた。すっかり新婚気分を味わっていたのだ。新幹線ホームでの別れ際、ヒロシはリマに言った。
「次福岡に来るときは、嫁として来ないか?」
「それってプロポーズ?」リマが目を丸くして訊いた。
「僕の妻になって欲しい」ヒロシは照れながら言った。『この人ホント純なんだから』とリマは思いながら、笑って返事を焦らした。そして「宜しくお願いします」と、リマは返事をした。

 結婚して10年経った今、リマは二人の子供と夫、ヒロシとで仲良く暮らしている。彼はもう直ぐ助教授になる。気さくでちょっぴり女心に鈍感な所は変わらない。小学生の息子の夢は電車の運転士。朝早く、夫は子供と一緒に写真を撮りに出掛けた。今頃、鉄の匂いのする線路際で、私の作ったお弁当を食べているかしら?リマはそんな昼下がり、鉄道物知り図鑑を眺めていた。

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君を見ていた季節
 草の匂いのするこのバス停。私はこの村に帰ってくると、いつもここへやって来る。雲の切れ間から暑い陽射しが大地を打ちつける。よみがえる美しい思い出。瞳を閉じ、いま少年の頃の自分になって...。

 高校時代、無口でしたたかだった僕は、たった一人の女の子をいつも胸の中で追いかけていた。その子には僕になかった明るさがあった。それに、優しい心も。
 通学はバスに乗ってだった。この村でも田舎に住んでいた僕は、始発に近い所から乗っていたので、いつも決まって後ろの席に腰掛けていた。途中でバスは、生徒や通勤のサラリーマンで満員になっていった。思春期になると誰しも異性に興味を持つように、僕も女性が気になっていた。通学するバスでも、スーツを着たОL風の女性に魅力を感じていた。年上の女(ひと)に興味があったのでつい見とれてしまう。『高校生なんて…』と思っていた自分は偏見的なのか?そしてヒールを履く熟(う)れた脚をじっと眺めていたものだ。とあるバス停からは、まとまって同じ高校の生徒が乗ってくる。その中に同級生の女生徒がいた。他と同じく、ずっと関心の無かった類(たぐい)ではあったが、ふとした出来事から気になるようになっていた。休日、町まで出掛けたバスでの話である。途中、二人の女の子が乗ってきて僕の前の席に座った。バスが動き出すと同時に二人は話はじめた。自然と耳に入ってきた会話は、女の子同士で出るアイドルの話である。愉快な会話は弾んでいた。やがて男の話題に移行した様だった。突然、窓際のサトミと呼ばれていた方が声を上げ言った。
「そんなHなら私だったらしないよ!」
周りに聞こえるのがまずかったかの様に、彼女は後を振り返った。その時、僕と目が合ってしまった。僕は思わず窓の外に目を逸らした。そのあと町に着くまで彼女たちはおとなしくなった。同じ学年のD組女子とあとで知った。そして朝の通学バスで、僕を覚えている様子のサトミは決して僕とは目を合わせなかった。それが僕の気になっていた理由であった。

 その年の文化祭で、僕は出席をとったあと直ぐに帰ろうとしていた。その前にお腹が空いていたので何か食べる事にした。何人かの友達ともはぐれ、一人とある教室へ足を踏み入れた。そこの片隅に座り、頼んだ焼きそばの出来上がりを待っていた。人の気配がし振り返ると、例の彼女、すなわちサトミだった。彼女の手から僕は出来立ての焼きそばを受け取った。
「こんにちは。ごゆっくり」
サトミは可愛らしい笑顔で言った。
「いただきます」
と、僕は無表情なままそう言った。それだけの事だった。
「サトミ、早く来てよ!」
そう言ったのは、あの日彼女と一緒にバスに乗っていた相方だった。彼女は僕から離れると、忙しそうにも明るく振舞っていた。焼きそばを食べながら、僕はサトミを遠目で見ていた。しばらくして僕は席を立った。そして教室を出ようとした時、サトミは僕にニコリとして見せた。つられて僕も会釈をした。『自分に気があるのかなぁ?』そう思いながらも、サトミに対し好意が芽生えていた。しかしその可愛らしい笑顔は、バスではまた見られなくなった。何を考えているのだろう?と思うも束の間。彼女が校内で彼氏らしき男子生徒と仲良く歩いているのを見て、気になっていたもの全てが消えていった。

 月日が経ち、三年生になる時にクラス替えがあった。帰宅してから、僕は貰った名簿に目を通した。そこには南里美という名前があった。見た覚えがないから違うだろうと思った。翌日、バスを降りるサトミのあとを付いていくと、どうやら同じ教室へと向かっているようだった。僕は彼女に挨拶でもしようものか迷っていた。
「おはよう!」
そう言って彼女に絡んできたのは相方だった。彼女も同じ教室へと入っていった。無口で口下手な僕は、サトミとは特に話す事もなく毎日が過ぎていった。一学期半ば、サトミに彼氏が居なかった事実を耳にした。それまでも遠目で見るサトミの笑顔に恋していたのだが、その意識は加速していった。あいうえお順で同じ頭文字の二人は、3順目にして日直当番が一緒になった。
 その日の放課後、気付くと二人きりになっていた。元気なサトミにとって僕の寡黙さはじれったいであろう。自分とは違うタイプを好きになっても、相手にとっては自分の事は特別な意識にはないだろう。好きなのに正直にはなれず、冷めて見せてしまう。
「三木くん、それ貸して!」
僕の心理を無視しているかの様に、サトミが僕の名を呼んだ。僕は黙って持っていた黒板消しをサトミに渡した。
「三木くんてホントに喋らないんだね」
やはりそう思っていたのか…。僕は思わず苦笑いした。
「性格だから」
「でも、かわいいから許すよ!」
何だか舐められているのかよくわからないけど、その時は悪い気はしなかった。
「今度の合唱コンクール、ピアノ弾くんだね」
僕は勇気を出して、自分からサトミに話しかけた。
「うん、ピアノは3歳から習ってたのよ!」
「僕は趣味も特技もないつまらん男だよ」
そう言ったあと笑ってみせた。サトミもつられて笑っていた。この日から僕は自分に目覚め始めた。だが、自分の殻を破れた訳ではないが、思春期で抱くモテたいと思う気持ちは正直だ。それも人から比べたら遅かった。

 成績が上位だった僕は、同じく優等生の今井ゆかりという女生徒から好かれていた。彼女も物静かで、寡黙な自分から見ても冴えない。そんなゆかりには目を向けなかった。相対して、笑顔の爽やかなサトミへの片思いが募るばかりで仕方ない。今の大人の私ならきっと違うと思う。自分から話しかけて気持ちを探るであろう。いや、その前に好きにさせる事もするであろう。逆に奥手な人ほど片思いで終わってしまうのかも知れない。未熟だがキレイな心。人はいつしかそれを忘れ掛ける。

 季節は夏に入る。漠然と進学しようと決めていた呑気な僕は予備校に入ることなく、自習に臨んでいた。それでも夏期講習は受ける事にした。唯一の親友にも講習に誘ったが、予備校で開かないと断られた。今井ゆかりは僕に比べれば度胸があった。彼女は予備校に通いつつ、この時期だけ僕と同じ夏期講習にも入部すると言い出した。家も裕福なのか? ゆかりは講習の間いつも僕の隣に来て、講義を受けていた。そして、終わると黙って付いて来る。そして決まって僕に、「何か食べない?」そう問いかけてくる。僕はそんな事を考える余裕もなく、勉強のことで頭が一杯だった。ゆかりとデートしようという意識すらなかったからだ。私服のゆかりは、学校で見るよりオメカシした出で立ちで、ほのかに慣れない化粧をしているようだ。そのゆかりを可愛く思える様になった頃、講習は終わった。その最終日、模擬テストの結果を見てゆかりは言った。
「三木くんに数学教えて貰いたいの」
僕は考えたあとOKを出した。勉強は、ゆかりの家でという事だったからだ。
「こっちだよ!」
「やっぱ今井さんちなんて入れないよ」
間近まで来て僕は躊躇(ちゅうちょ)したが、最後は手を引かれた。玄関を入るとそこは静まり返っていた。そのまま二階の部屋に案内された。
「今の時間、誰もいないから安心して」
ゆかりはそう言うと、二階にある自分の部屋に僕を案内した。二人が部屋に入ると、彼女は鍵を閉めた。綺麗に整頓された部屋には、真面目な文学書や参考書が並んでいた。ゆかりが慌てて隠した本を僕は見逃さなかった。そのタイトルは、『相手を好きにさせる心理学』であった。
「三木くんはここに座って! あっ、あたしジュース持って来るからちょっと待っててね!」
ゆかりはそう言うと満足気にキッチンへと降りて行った。まるで‘ままごと’をしているかの様に楽しそうに…。今日のゆかりは別人の様だった。一方、したたかな当事の僕は、無情でテキストを並べた。直ぐにゆかりが戻って来ない事に間がさして、ちょっぴり甘い匂いのするゆかりの部屋を見渡していた。そして、ベッドの上に転がる大きなクマさんの縫いぐるみを手に取ってみた。そこにゆかりが戻ってきた。そんな僕を見て、彼女は笑みを浮かべていた。僕は直ぐにそれを戻すとさっそうと席に着いた。ゆかりは甘ったるい声で言った。
「ジュースお待たせ。おやつも用意したよっ!!」
彼女はクローゼットからもう一つの椅子を出すと、僕の横に座った。ジュースとおやつを口にしてから勉強は始まった。ゆかりにとっての数学は、かなりの難関らしく、僕の下手な説明じゃ先には進めなかった。そのとき僕はゆかりに言った。
「連立方程式から教えて欲しいだなんて、理数系諦めた方が無難かもよ?」
「ううん。あたし三木君と同じ大学の同じ学部に行きたいから、絶対頑張る!」
「えっ?」
開いた口が塞がらない。それにゆかりは輪をかける様に言った。
「ねえ三木くん、好きな人いる?」
ゆかりは凛として、意を決したかの様に尋ねた。
「何でそんなこと?驚くじゃんか。…あぁ、そんなのは…今は勉強でいっぱいだし」
ゆかりの気持ちには気付いていたものあまりに突然で、返す言葉にも戸惑いを隠しきれなかった。それにやはり、サトミの事が好きだった。その心理を見抜く様にゆかりは言った。
「南里美の事好きなんでしょ!?  残念だけどあの子、遠恋してるの」
「えっ?!」
僕は意表を衝(つ)かれたと同時、指に掛けていたシャープペンシルを床に落としてしまった。ゆかりは立ち上がったのだが、それを拾うことも無く僕の背中に抱きついてきた。
「三木君、好きっ。私たち二年から一緒でしょ!? 南さんには取られたくない」
「大げさな」
「だって、ずっと三木くんのこと好きだったんだもん」
ゆかりはそう言うと泣き出した。
「こうやって泣けば好きになってくれるとか思っていないよね?」
「…思って…ない」
「今井さんの気持ちは解かった。でも今日は帰るよ」
「ごめんなさい」
僕は、ゆかりの肩をポンと叩いて部屋を出た。

 新学期が始まったその日、今度は僕が勇気を出して告白することにした。昼休み、待ち伏せた廊下でサトミに声を掛けた。
「ちょっと聞いてもらいたい事あって」
それに対し、サトミは茶化(ちゃか)すかの様に笑って言った。
「ひょっとして、私のこと好きとか?」
「知ってたの?」
そのあとサトミは僕の耳元で言った。
「でも、ゆかり言ってたよ。この前三木くんとHしたって」
「えっ?してないって!」
「隠さなくても…。私、今付き合ってる人いるの」
「ショックだな。でも遠恋でしょ。デートくらいはいいじゃん。ダメ?」
「そこまで言うのならネ。彼、デートだけなら許すって言ってた(笑)」
「その彼、いい人なんだね」
「うん。でも一緒に帰るだけねっ」
「キツイなぁ~。わかったよ」
「ねぇ三木くん、話上手くなったね」

 僕は初めて好きな女(ひと)と一緒に歩いた。
「三木君?始めて遇(あ)ったの、覚えてる?」
「焼きそば、」
「違う!町行きの--」
「バスで君がヒンシュクかうような言葉言って僕と目があったがそれ以来無視し続けて..」
「ふふっ、おもしろい!」
「実は、南さんの言ったあの言葉に惹(ひ)かれたんだ」
「お上手ね」
「手つないでいい?ここまで来れば誰も見てないさ」
「いいけど…私のバス停までねっ」
サトミの言葉には、一度切りよと僕には聞こえた。それでも満足した。そして決めた事があった。川の流れを逆目に、僕たちは残暑が降り注ぐ道をひたすら歩いた。車少なくトンボが飛び交う田園である。
「バス停着いたね。君にもっと早く声掛けれたら良かったのに…」
「そうだよ!そしたら私、三木くんのカノジョかな!? 今度は上手くやってよネ」
「わかった。さよなら南さん」
「さよなら三木くん」
そして僕は南里美への気持ちを絶った。僕のこの恋は実らなかったが、代わりにゆかりの想いを受け入れた。この恋で得たもの、それは相手の思いを受け入れる優しさ。サトミがくれた僅かな時間で僕はそれに気付いたんだ。

 私はいま、このバス停で青い夏を感じている。蒼い追憶なんかじゃない。あの日の君が懐かしい。


テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

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東京都出身、横浜市在住
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